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小樽の歴史

札幌観光タクシー

石狩湾に面する港湾都市の小樽は、現在の札幌市よりも歴史は古く、江戸時代から昭和30年頃までニシンが沢山捕れ、それらの海産物などを運ぶため北前船が出入りし、明治 13年に日本で3番目に小樽から札幌まで鉄道が敷かれたのを皮切りに、夕張方面の並びに岩見沢幌内方面に鉄道を伸ばし、日本の原動力であった石炭を採炭し、小樽港から本州へ積出港として大変賑わった時代もありました。明治から昭和初期にかけてつくられた日本銀行三菱銀行第一銀行など旧小樽支店や旧北海道銀行本店が続々と建つられたのです。これらの銀行が立ち並ぶエリアを「北のウォール街」と呼ばれたのです。また近くには「小樽運河」があります。その小樽運河は、内陸に水路を掘ったものではなく、沖合いを埋め立てて水道築いた運河なのです。小樽は、ガラス工房のお店が多いなぁ~という、イメージの方も多いと思います。そもそもガラス産業は、明治半ばに始まります。照明のランプ、ランタンのホヤ(ランタンのガラス部分)、魚を獲る網を浮かせるのに使う浮き球、食器など、様々の分野にガラスが多く使われたのです。しかし、ランプは電気、ランタンは懐中電灯、魚を獲る為に使われた浮き球は、昭和 31年の日露漁業協定、昭和 52年の 200カイリ問題で遠洋漁業の漁場を失い、ガラス製の浮き球はプラスチック製に変わり、ガラスガラス産業は徐々に衰退していったのです。小樽のガラス工芸の下地は、この浮き球職人によって作られたと言っても過言ではないでしょう。そんな小樽の土産品として、ステンドグラスやトンボ玉、食器(時にグラス類、醬油差等々)などを買われていく観光客が多いです。歴史的建造物も多く明治時代に、ニシン漁で財をなした青山家、白鳥家、茨木家などがあり、ここで旧青山家の別邸のお話をしましょう。青山家、第2代目の政吉さんが、第3代目娘の政恵夫婦に建ててあげたニシン御殿です。政恵さんが17歳の時に山形の酒井市ある本間邸をご覧になり、このような家に住みたいなぁ~とお父さんの政吉さんに話したところ、「よし、建ててあげよう」と、言う事になり、山形から職人や材料を持ってきて、大正6年から6年の歳月をかけ作りあげたのが青山別邸です。建築にかけたお金は、当時のお金で31万円。当時、東京にある伊勢丹デパートが50万円ですから、どれだけの材料を使用したのかが窺えます。